村井正誠記念美術館
設計: 隈研吾
所在地: 世田谷区
竣工年: 2004年




 

 まず、村井正誠氏とは、どういう画家だったのか。オープンハウスのときに会場で頂戴した資料から、その略歴を見てみると、1905年に岐阜県大垣市に生まれるが、育ったのは和歌山県新宮市である。1928年に文化学院美術科を卒業し、渡仏。32年に帰国。34年に「新時代洋画展」の創立メンバーとなり、37年には、それを発展させて「自由美術家協会を創設。しかし、50年に、仲間とともに同会を脱退して「モダンアート協会」を創立する。62年に、第5回現代日本美術展最優秀賞を受ける。73年に神奈川県立近代美術館、79年和歌山県立近代美術館、93年世田谷美術館(他巡回展)、そして95年神奈川県立近代美術館(他巡回展)で回顧展を開催。95年に93歳で他界されている。
 世田谷美術館の橋本善八氏は、村井の画風を「私は、村井正誠の作品に、気負いのないモダンと、ユニークな可愛らしさが同居しているという印象をもっている。それは作品を包む軽やかな気配であり、若き日の作品からつねに宿り続けていると感じられる。晩年まで色褪せることがなかったこの気配は、画家が自己との忠実な対峙を怠らなかった証なのだと思う。」と書いている。
 そして、大島清次氏が寄せた「村井正誠美術館と隈研吾」によれば、この美術館の設計と隈とを結びつけたのは大島氏のようだ。村井氏が亡くなった後、伊津子未亡人がこの私立美術館の設立を決意し、何人かの建築家と接触したにもかかわらず、ふさわしい設計者を見出すことができず悩んでおられたときに、「隈研吾に私から頼んでみましょうか」と仲介の労をとったのが氏だったという。
 その伊津子未亡人の文章「人の居る場所」には、大島氏から推薦を受けて、隈に会い、彼に設計を依頼するに至った経緯が、次のように描かれている。
すでに幾つかの案があったが、どれも何かが足りなかった。そのときに大島氏の薦めを受けて、隈の著書の一冊を開くと、「気持ちのよい空気が立ち昇った。数冊をその夜のうちに読み通し、隈さんに村井の感性に近いものを確信した」と。それが、2001年夏のことだった。もう3年も前のことである。
 このとき、予算は全くと言っていい程になかったが、隈は、「大丈夫です」と言って引き受けた。その隈の推薦で、旧宅を撮影して記録に残す作業が宮本隆司氏に委ねられた。作品や家具などを搬出して空になった古い家には、「静かな美しさがあった」と、未亡人は書いている。そして、その文章の最後には、「この春、村井と私は素晴らしい贈り物を確かに受け取った。おっとりと蹲(うずくま)る愛しい小さな生き物、時々頭をもたげては低いが良く響く甘え声で鳴く暖かな生き物、村井正誠記念美術館の誕生である」と書かれている。
 さて、隈自身は、この実に労の多い仕事を引き受け、進めていった経緯を、どう書いているか。彼の寄せた文章「モノと向かい合うこと」を読んでみよう。
  等々力にある旧宅を最初に訪れたときの「不思議な記憶」から、その文章は始まる。
「六十年前に建てられた小さな木造の部屋は物―作品、本、雑誌、その他もろもろの小物―によって埋め尽くされ、ほとんど足の踏み場がなかったのである。さらに不思議だったのは、それが少しも乱雑な印象を与えない。(中略)どんな純粋な幾何学的形態さえも、村井さんの手にかかると、おおらかなやさしいものに変身を遂げる。村井さんの絵画がそのような幾何学の集積であった。この家には村井さんが手を触れ、愛情を注いだ物たちがたくさん残されていた」。
 それらの保存が、この美術館の設計テーマになった。ふたたび隈の説明によれば、「形態を保存するのではない。物を、物質を保存するのである。それらの物が村井さんという人間を語ってくれるに違いない。村井さんの愛情の深さを、その芸術の奥行きを眼前に蘇らせてくれるに違いないと確信したから」であった。
 具体的には、アトリエだった小部屋をそっくりそのまま保存。その小部屋を入れ子状に包む形で、その外側にもう一つの大きな箱を新たにつくる。この内外の箱の隙間が展示空間である。隈は、「外側の箱から見ればアトリエは展示品のひとつとも見えるし、逆にアトリエから見れば、外の箱は、隣地との間の新しい塀だとも見ることができる」という。これ以外にも残せるものは残して、記憶の形象として再利用している。たとえば、外の大きな箱のほうは旧宅解体の廃材でつくられ、その外装材はいったん外して、再度、箱の外側に張り付けられている。それが、抽象と具象の不思議なオーバーレイを生んで、表の通りを歩いていても、なんとなく「メッセージ」を発しているのが感じられるのである。
 そして、下地のままで終わっているような決して豪華とは言えない外観、抑制されたヴォリュームの扱いが、美術館であるようで、なお住宅であるようにも見える。この点について隈は、「美術館であると同時に依然として家のままである。この二重性をあくまでも守り続けたいと思った。村井さんの作品には家の空間のやさしさがよく似合うと考えたからである」と説明している。

 等々力渓谷から少し入った閑静な住宅地にたつこの小美術館では、個々の作品だけではなく、一人の芸術家の生きた空間そのものを感じ、鑑賞することができる。このように空間まで一人の芸術家に特化することは、大きかろうが小さかろうが一般の美術館では不可能なことだ。隈のとった「記憶の保存」という手法は、この小美術館の将来にとっても、大きな意味をもつであろう。鑑賞者が静かに身をおき、住宅にいるような寛ぎのなかで、村井という一人の芸術家の世界を、存分に味わうことができる。ここでしか体験できない、まさにオンリー・ワンの場所になっているのである。

(2004年8月29日 記)

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