島根県芸術文化センター
設計: 内藤廣
所在地: 島根県益田市
竣工年: 2005年



島根県芸術文化センター(外観)島根県芸術文化センター(大ホールのホワイエ)
 

 島根県芸術文化センターは島根県益田市に、2005年の年末に完成。設計者は内藤廣。内藤さんは、私と同じ年で、近代建築批判のスタンスを共有して、私の書く本でも必ず登場する長年の「同行」、畏友である。最近は土木に立ち位置を変えて、そこから建築に対する批判を行なっている。近代の間に建築が失った「環境との関係」「広い脈絡との関係」との回復を、(土木という)分かりやすい位置から説き明かそうとしている。

 だが、建築が20世紀をかけて獲得してきた、内面の表現、内面から湧き立つ感情の表現を、土木に立つ位置を変えて、どう継承してゆくのかが、私には分からなかった。個々人の感情が「共感」という形で多くの人々の間に広がってゆくことを、内藤さんはどう積極的に捉えているのだろうか。技術や地理自然、あるいは風景との対話という土木の造形を支える原理だけでは、建築を支える具体的・身体的な「人」という根本原理が抜け落ちるのではないか。

 私は最近、意図的に、展覧会(銀座INAX)やインスタレーション(「風鈴」展、オカムラデザインスペースR)などの協働を通して、伊東豊雄さんの建築思考の内面に入る努力をしてきた。というのも、伊東さんが、人間の身体的な動きとか感情を非常に大切にして、内面から湧き立つ感情を建築空間に転換しようと努める代表的な建築家だと思うからである。伊東さんは、「風鈴」展では「近傍から都市へ」という実に興味深いテーゼを展開した。そのコンセプトの強さと、それを都市的広がりにまでもってゆく分析の鋭さ、採用する技術のレベルの高さと確かさには、正直、何度も驚かされた。まさに「世界的な建築家」と協働している喜びでもあった。思考、技術、作品のどれも、世界のどこに、たとえばパリ、ロンドン、ニューヨークにもっていっても圧倒的な賞賛を得るであろう。ある意味で、伊東さんの場合、建築的構え(フレームワーク)そのものが創作の前提から消えている。その場、その機会に応じて、新規に空間への立ち上げを考えているのである。その全プロセスを突き抜ける「純粋さ」「新鮮さ」「生命感」は協働したタクラム(takram)の人々、協力する学生たちにも伝わったはずである。何か、気持ちのいいものが、体内を通り過ぎる快感とでも言おうか。

 この心地よさを味わってしまうと、内藤さんの建築思考を占める「建築的」フレームワーク、それを「土木」から批判しようという目論み(これも広義のフレームワークが前提になっている)が、良い意味でも悪い意味でも、すべて見えてしまう。闘うべき相手をはっきり設定して闘う、その構図が見えてくるのである。この構図は、安藤忠雄さんにも通じるところがある。押さえるべきところを押さえて、さすがだなと思うが、喝采する気にはならないし、むろん心地よさはない。むしろ、そこまで言うならば、実際に設計している建築がどのようなものかと見てみたくなるのである。

 伊東さんの松本市民芸術館には、もう4度訪れて、その都度、それぞれの空間がどこまで使いこなされているかを確認した。外観だけでも、目玉となるエントランスロビーやホワイエ、オーディトリアムといった空間だけでもなく、巨大なステージ空間の奥、大小のリハーサル室や楽屋などの諸室が、日常的にも利用されているか、具体的にどう利用されているか、といったチェックである。諸室をどこからでも切り取って、フレキシブルに一般市民の利用に供するには、最初の空間プログラムが相応しいものになっていなければならないし、どんな裏方の空間でも等価に、気持ちよく利用可能な状態に設計されている必要がある。館長やスタッフの努力も欠かせないが、どんな小さな空間でも独立させて利用可能で、そもそも、使う人々の内面に「使いたい」という気持ちを誘発するように設計されていることが重要ではないか。日本の劇場では、メインのステージと観客席は確保されても、袖空間や楽屋が不足しがちで、もし、それらが多種多様な用途にも使えるように考えられれば、却って、そこを充実させて不足を解消する手だても見つかるように思われる。伊東さんの松本がすぐれているのはこの点であって、それが諸空間の稼働率の向上に結び付いている。一つひとつの楽屋やリハーサル室などがリラックスできて、とても心地よいのである。

 島根芸文センターは、内藤さんの日ごろの主張がどう建築に表されるのかを見る、非常に良い例であろう。内藤さんの日ごろの主張で、とくに印象に残るのは、建築を自らの「作品」とは考えない、その地域の「産物」「作物」と考えるべきだというものだ。島根芸文センターは内覧会からお誘いいただいたのに、なかなか訪れる機会がなかった。なんと言っても、益田市は交通の便という点では制約の強いところ、島根県内でも、中国地方内でも、関西や関東との関係でも、そうとうに工夫しないと、日常的に人が集まる位置ではない。先だって、当初のお誘いから3年を経て、広島からレンタカーを走らせて、やっと実見を果たすことができた。「日常的に」という判断基準が決定的に重要だが、これほど規模が大きい複合的な文化センターが、この場所に建設されて、いったい「日常的に」十分に使いこなせるかのか、内部の雰囲気や空間構成、広い意味での設備は、「日常的に」いろいろな人が、入れ替わり立ち替わり、出入りして利用されるものになっているか否か、それを見たいと思った。竣工直後では、地域へのなじみ方、使われ方まで見ることができないが、3年も経てば、内藤廣の「作品」を見るというよりも、地域に根差して「作物」になりえているか否かを確認できるのではないか、そう考えたのである。

 車でゆくと、広島県との県境を越えるあたりから、あの特徴的な赤みがかった石州瓦で屋根を葺いた民家が目に付くようになる。日本海に沿った道を走り益田市に近づく頃には、かなりの家屋が赤い石州瓦で葺かれた集落にも出合うようになる。

 そして、島根県芸術文化センターに着いた。それは、まるで、これまで道中で見てきた石州瓦で葺かれた家屋が集まる集落そのものだ。ああ、内藤さんがやりたかったのは、あの集落のような風景づくりだったのだと納得した。事務室群、美術展示室群、大ホールと楽屋群、小ホールとスタジオ群が、あの中央25m四方に浅く水を張った45m四方の中庭を囲んでいる。

 屋根面のみならず壁面までできるだけ地元の石州瓦を使おうと、ずいぶんとその納まりに工夫を重ねたようだ。私はかつて、内藤さんのいう「素形」は抽象的なものではなくてきわめて具体的であって、内藤さんは「素形」を見つければそれを反復使用することによって全体を形づくる、と書いたことがある。ここでは、桟瓦の取り付け部分に素形が現れていると思った。屋根の妻壁はせっ器質タイルで、同系の色でも壁から屋根にかけて微妙に色合いと光沢が変化してゆく。

 ここでも建築を構成する基本原理は「グループフォーム」であって、いくつかの小グループが正方形の中庭(回廊)を囲むことによって全体が構成されている。十和田市の現代美術館の場合は抽象化された白い箱がグループをなし、ここでは具象的な赤い家型がグループをなしている。ただ、十和田の場合は、個々の箱の相互関係のみでグループ造形が進むという新しさがあったが、こちらは回廊という媒介空間に頼ったところが少し古めかしく、弱い。同じ家型の群造形であっても、「海の博物館」とも違っている。

 全体は赤みを帯びながら、その部分で微妙に形・色・光沢が変化する様子は、アルヴァ・アアルトの「夏の家あるいは実験住宅(コエタロ)」の外壁を思わせる。ただ、ここまで全体を赤く仕上げるところは、真っ白に仕上げられたという違いがあるがアアルト最晩年の作、フィンランディア・ホールに近いと思う。

 大ホールのホワイエは、どこか地下深い鍾乳洞の切れ目、裂け目を下から見上げたときの印象にも近く、家型の建物を赤系の瓦・タイルで被覆するという表層をなぞる作業に神経を使った外回りとは対照的に、三次元的でダイナミックな造形に思い切って踏み出している。この内と外とのコントラストが、内藤建築の特徴でもある。大ホールの内外を印象付けるRCの利用がいかにチャレンジ精神に富むものであるかは、彼自身もいろいろのところで強調しているので、ここでは触れない。

 私が最近すごく気になっているのは、よく言われるハコモノ行政の弊害である。近代(建築)批判から始まって形態・材料・技術の面で地域からモチーフを掘り起こして建築に活かしてゆくという考え方は、かなり定着してきた。内藤さんは、その流れを牽引してきた建築家である。だが、現地に立って感じるのは、この巨大な複合建築が、果たして真の意味で人々に愛され、使いこなされてゆくのかという疑念である。土地のもつ総合的な体力を「地力」と呼ぶならば、この施設を健全に使いこなす地力が、益田にあるのかという疑問である。巨大なハコモノで終わるのではないか。相当に企画で頑張らないと維持するだけで赤字が膨らんでいるのではないか。大ホール、小ホール、美術館というビルディングタイプがそのまま踏襲された上に、内藤さんが力を入れて建築をつくっているので迫力は感じるものの、これらのメインの空間もその周囲にある付属空間も、専用の使い方には適合できても、気軽に少し違った使い方をしてみようと思う者には対応できないのではないか。使いこなそうという気持ちを誘う、利用者の目線に立った空間づくりが、きわめて希薄な建築になっているように思われる。山陰のこの地にあって、内部は奥の深い中廊下的空間が多く、中庭やトップライトがあっても全体が暗いのも、すごく気になった。突然の訪問にもかかわらず内部を案内して下さったスタッフの方に心から感謝していることを最後に申し添え、むしろ激励として、「どうぞ、この建築を使いこなすために、建築に負けない企画をどんどん立ててください」と申し上げたい。状況は、きわめて厳しいはずだ。

(2008年9月28日記)
 

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